eninaruについて知っていただけるようにその時々のプロダクトや作品にまつわるコンセプトやライナーノーツをアーカイブします。

曼珠沙華

 eninaruの第1弾は、曼珠沙華をテーマに添えた。

 着物の柄として使用している曼珠沙華(マンジュシャゲ)は、秋の彼岸の時期に咲くことから彼岸花(ヒガンバナ、学名 は Lycoris radiata)とも呼ばれる花であり、他にも数多くの異名を持つヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草。日本自生の植物ではなく、中国大陸から稲作とともに伝来したとされる。
曼珠沙華の花言葉は、「情熱/思うはあなた一人/また会う日を楽しみに」

 曼珠沙華という名は、『法華経』などの仏典に由来し、梵語(サンスクリット語)でmanjusaka の音写であり、「赤い花」、「葉に先立ち赤花を咲かせる」という意味から名づけられたとされる。法華経序品では、釈迦が法華経を説かれた際に、これを祝して天から降った花(四華)のひとつが曼珠沙華であり、花姿は不明だが「赤団華」の漢訳などから、色は赤と想定されている。四華の曼荼羅華(日本ではチョセンアサガオの別称)と同様に、法華経で曼珠沙華は天上の花という意味もある。

 曼珠沙華は山林原野にほとんど見られず、現在では水田の畦などに群生するが、これは害獣からの農作物や墓を守ることや飢饉への備えとして先人が植えたからである。

 曼珠沙華には「家に持ち帰ると火事になる」「摘むと手が腐る」「摘むと死人がでる」といった迷信がある。これらは、曼珠沙華の妖艶な花の色や姿が炎を連想させること。曼珠沙華が持つ毒を利用して、農作物や土葬だった時代、墓を害獣に荒されることを防ぐために植えられており、曼珠沙華のもつ役割や毒から子どもを遠ざけることに由来するとされる。
 曼珠沙華が毒を有することは事実であるが、水に晒すことによって容易に除去することができ、球根からは極めて良質の澱粉がとれる。

 農作物や故人を守り、救荒作物として最後のたよりとされた毎年、同じ場所に咲き誇り、妖艶に人々を引きつけてやまない花の名が、曼珠沙華というのも天上の花という意味にふさわしいとも言える。

メインヴィジュアルとルックについて

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 今回のメインヴィジュアル並びにルックは、陰陽対になる色の着物を一人のモデルが着用し、二人の女性を演じ分け、昭和初期の耽美な世界観を表現した。

 曼珠沙華の着物を新たにデザインに手を入れ、制作するにあたり、当初より姉妹コーデによるヴィジュアルや日本画的な表現を初期構想があり、その中でもヴィジュアル制作に大きな影響を与えた作品の一つに北野恒富 (1880-1947)の『いとさんこいさん 』(1936年・昭和11年 京セラ美術館所蔵)がある。

「いとさん」「こいさん」という言葉は、商人たちが使っていた「船場言葉」である。「いとさん」は「愛しい人」からきた言葉で、特に長女に使われていた言葉。末娘は「こいとさん」が縮まって「こいさん」と呼ばれていた。

 北野恒富の『いとさんこいさん』は大阪の商家の姉妹の年齢や性格の違いを見事に描きわけた作品であり、同時代に活躍した小説家・谷崎潤一郎(1886-1965)の『細雪』(1943~48年作)とも共通の世界観があるとされる作品でもある。

 この作品をインスピレーション元とし、その作品が生まれた昭和初期の時代背景と今の時代を考察しながら、一人のモデルによる2人の娘の演じ分けを行い、メインヴィジュアルは日本画的な表現に落とし込み、ルックは1930年(昭和5年)に建設されたレトロな建築物にて撮影を行った。

 曼珠沙華は、土の中で球根をつくり株分けで繁殖し、日本中の曼珠沙華は、遺伝的には同一の遺伝子を持つとされており、同じ顔を持つ娘たちは曼珠沙華という花の投影でもある。

 同じ地域で育った曼珠沙華は、開花期や花の大きさや色、草丈がほぼ同じように揃うといい、育つ環境が異なる個体同士では、同じ遺伝子を持っていても違いが生まれるという。

 陰陽異なる着物の着用する二人の娘の違いは、曼珠沙華の花と同じく、同じ遺伝子を持ちつつも、境遇の差から生まれる双子の姉妹の性格の違いなのかも知れないし、あるいは、ドッペルゲンガーや異なる世界線のもう1人の私なのかも知れない。

 想像を馳せてヴィジュアルを読み込んで、楽しんで頂けたら幸いである。この作品にはいくつも仕掛けを施した部分もあるが、それはまた別の機会に。

text : 森真琴(eninaru®)