eninaruについて知っていただけるようにその時々のプロダクトや作品にまつわるコンセプトやライナーノーツをアーカイブします。
藤波
藤はマメ科フジ属のつる性落葉木本で、フジ(学名: Wisteria floribunda 別名: ノダフジ)とヤマフジ(学名:Wisteria brachybotrys)の二種が、日本の固有種として自生しており、現在では多くの栽培品種が存在している。藤の開花は、4月〜6月にかけて、南から花前線を作りながら北上していく。フジの花言葉は、「至福のとき/恋に酔う」
古くから観賞用に用いられることも多く、平安から鎌倉にかけては松の緑を背景として、そこに絡まって咲く藤の花の美しさが鑑賞の基準とされた。例えば清少納言の『枕草子』の84段には「めでたきもの」として「色あひ深く花房(はなぶさ)長く咲きたる藤の花、松にかかりたる」とある。また藤花の紫を高貴なものの象徴として、「紫野神を包み文にて、ながき藤につけたる」を優美とも記している。 『万葉集』には、 藤を詠んだ歌が題詞を含めて28首ある。その中に長く垂れた花房を「藤波」といった歌が15首ある。藤波とは垂れ下がった藤の花が風に吹かれて、ゆらゆらと揺れる様を波に例えれ表現したものである。今回の着物に題した藤波の題もそこから来ている。
藤娘
藤娘は、歌舞伎(日本舞踊)の演目の一つである。元は江戸時代、近江国大津で又平という絵師が描いたと言う藤の花模様の着物を着て、藤の枝を担ぐ娘が描かれ、「良縁」の護符とされた大津絵である。元は大津原題とした変化舞踊だったものを、六代目尾上菊五郎の改変によって現在でも人気の舞踊として数多く上演されている。
藤の絡んだ松の大木の前で、藤の枝を手にした藤の精が、女心を踊る作品。意のままにならない男心を切々と嘆きつつ、切ない反面愛らしい恋心が表現され、やがて酒に酔い興にのって踊るうちに遠寺の鐘が鳴り夕暮れを告げると、娘も夕暮れとともに姿を消す。
藤と松の組み合わせは、『源氏物語』第28帖「野分」にも、明石姫の美しさを「松に藤の咲きかかる」と喩えられたように、常套表現になっていた。現実にも平安時代の寝殿式庭園では中庭の松の木に藤が絡まされ、その美しさを賞美した。藤の絡んだ松の大木は、松が男を、藤が女を象徴している。
藤娘の長唄の「いとしと書いて藤の花」という詞章の意味は「い」を「10(とお)」個並べて、「し」の字で貫くと藤の花に見えることと、「愛しい」という意味を合わせた詞遊び。
万葉期の日本には、その季節に咲く花を頭髪に挿して飾る挿頭という慣習があった。挿頭(かざし)とは本来は、神事の饗宴の時、冠の吊子に挿す造花飾りのことで、奈良時代には花や枝が冠に直接挿された。元々その土地の神の霊魂を宿していると信じる山の樹の枝葉を折りとって、髪や冠に挿し、あるいは手に掲げてその神の祝福を受けていたものである。呪術的行為が、のち飾りになったものという
はじめは神の依代であり、神事に奉仕するものの印であった(かざし)は、次第に単なる飾りとして用いられるようになる。舞妓の花かんざしは月ごとに決まっており、5月は藤が使われている。
藤の挿頭を身に着けた二人は、夢幻をつなぐ依代としての今日の藤娘を描いた。
追記
今回のルックと対なるヴィジュアルを須藤綾乃氏主宰の薄荷The peppermint magazineにて展開を予定しているので、さらに耽美な藤の世界を今しばしお待ちを。
参考文献
有岡利幸『藤と日本人』八坂書房 2021年
露木宏,宮坂敦子『すぐわかる日本の装身具 「飾り」と「装い」の文化史 』東京美術 2020年
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